*** soul-stirring *** 魂の感じるままに

心が揺さぶられるような喜びや感動で日々を過ごしていきたい。いつも前を向いて笑っていこう。こんな私でもALL O.K !!

立っている場所から見える景色

 

 

 

 

 

今年も一斉に咲き誇り、魅せられます。

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近所の公園をブラブラお散歩。

贅沢だなぁって。

幸せだなぁって。

在るって、生きるって豊かだなぁって。

感謝します。

ありがとう。

 

 

娘が新生活に向けて髪を切りました。

「髪の毛って寄付できるらしいけど本当?」って娘に聞かれて

「ヘアドネーションってあるよね」って答えてたら

「じゃあ、それやりたい」って。

検索したらドネーションできるように処理をしてくれる美容院がすぐ近くに。

私も娘も初体験でした。

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私もロングヘアなので同じタイミングでカットしてドネーションしようかと思ったりもしたのですが、私の場合、ソバージュパーマ状のなかなか強烈なクセ毛なので、短くすると物理的重さがなくなって髪の毛が広がってしまい、大げさではなく葉加瀬太郎さんヘアになってしまうので断念しました。

娘の髪の毛が、誰かの支えを借りて、誰かのお役にたてますように。

 

できる人が、できる時に、できるパワーで、できる範囲の何かをできればいいなと私は思っています。

 

「偽善」も立派で素敵な「善」

笑いながら言い切れます(笑)

 

それぞれの立場があって、それぞれの考え方がある事も経験してきました。

 

ハタチくらいの時に「募金活動は偽善だ」と言った男友達と結構激しく討論した記憶があります。

そしてその年の夏、その男の子を交えた友達グループでチャリティー会場に小銭の詰まった貯金箱を渡しに行ったなぁ。

あの頃は捉え方の違いにひどく反応してしまう私でした。

 

 

その後、結婚して子どもができて、子どもを失う事への恐怖がどれ程のものかを知りました。

その当時、今の私に何ができるだろうって思って、とりあえず骨髄バンクのドナー登録をしました。

子どもを、家族を、助けて欲しい時に助けてくれる誰かがいる。

それが当事者ご家族にとって希望になるなら。

そしてその当事者に私たち家族もなる可能性だってあると思ったのです。

登録して半年程たった頃、骨髄移植を希望されている患者さんと私の骨髄タイプが同じだということで連絡が入り、大学病院で精密検査を受けてコーディネートが始まりました。

その頃、私の子どもたちは3人とも小学校にも上がっていない年齢で、どうしても身内の協力が必要でした。

私が骨髄を採取するため入院する間の、子どもたちのお世話をお願いしましたが、賛成してくれたのは元夫だけでした。

すぐ近くに住む元夫のお母さんや妹さんとは、とても仲良くしていたのですが「小さい子どもがいるあなたがそこまで身体の負担を負う必要があるのか」と反対されました。

私の姉には「人助けは分かるけど、幼い子どもがいるのにあんたの選択はちょっと考えられない」と言われました。

私の母には、もはやモメる事が目に見えたので事後報告にする事にしました。

正直すごくショックでした。

もし自分の子どもや家族が患者なら、適合するドナーが目の前にいたら泣きすがって懇願するだろうに。

いつ、その立場に自分たちがなるか分からないのに。

意地でも説得してみせよう。

そう思いましたが、その時のコーディネートは私以上に骨髄タイプが合う別のドナーさんが見つかったとの事で、先に進むことはありませんでした。

 

 

長男が小学校に行き始めた頃、ヒョンなことがキッカケで保護いぬの預かりボランティアをすることにしました。

エゴに無自覚な人間の作り出したシステムによって引き起こされている殺処分の現実を知り、その時の私にできる事を考えた答えでした。

実家の両親も動物が好きで、長い間いぬと一緒に生活をしていたので、母に気楽な気持ちで保護いぬを預かるボランティアをしている話をしました。

母から言われたのは

「あなた、まだまだ手の掛かる小さい子どもが3人もいるのに、どうしてよその人に渡すいぬをわざわざ世話する必要があるの?誰にいいカッコがしたいの?」

という言葉でした。

今なら分かるのです。

それも孫を大切に思う愛情からの、正直な気持ちだと思います。

言われた私は、それでも預かりボランティアをやり続けて、幸せになるいぬたちを見てもらいました。

姉が私の預かったいぬを里親として迎えたことで、生命を繋げていった存在がどれほど可愛いらしい家族になるかを、母も理解してくれて協力的になってくれました。

 

 

ほとんどの人に敬遠されがちなPTA役員も、子どもがお世話になっている学校のことだからと、言われるがまま素直に受けていたら執行部の中心メンバーになってしまい(笑)、思いがけない愉快な仲間の繋がりができました。

あまりにもこの仲間が楽しくって盛り上がって活動したので、いまだに学校行事に運営側として呼ばれるし、ワイワイと携わっています。

いろんなママ友から「PTAなんてよくやるねー。仕事も家事も子育てもあるのに、私には無理」という風な事をよく言われます。

 

 

「正義」とかって

その人の立場や物の見方によって

全然違う答えになる。

正しいも間違いもなくて、

人とすり合わせようとしても交わらなかったりする。

だから

「あなたはそう思うんだね。私はこう思うんだ。」

これでいいのだと思うんです。

後は納得して楽しんで、やりたいように動けばいいんだと経験しました。

そうやって動いた行動の結果が、誰かのお役にたったり、喜んでもらえる何かに繋がれば、

それって、サイコウ。

見る人から見たら「自己満足」で「偽善」で。

私から見たらその時々の自分に「善し」って言ってあげられる。

もうそれで充分なんです。