*** soul-stirring *** 魂の感じるままに

心が揺さぶられるような喜びや感動で日々を過ごしていきたい。いつも前を向いて笑っていこう。こんな私でもALL O.K !!

自身が放つエネルギー

 

 

冬至も過ぎて、もうすぐ年越しですね。

地球のサイクルが及ぼすエネルギーに敏感な方たちは冬至夏至春分秋分の日にエネルギーの変動を感じたりするらしいです。

満月や新月にも。

ちなみに私は何も感じないタイプです。

人や場所のエネルギーもスピリチュアル的には全然分からないです。

感じる時は大抵の場合、心理学で言うHSP的に受信していることが多いように思います。

あとは感じたインスピレーションを信じるくらいで。

だから自分や周りの人がどんなエネルギーを出しているのか、全然自覚していません。

きっとほとんどの方がそうですよね。

 

先日、大好きな友人と嬉しいやり取りがありました。

その友人はとてもスピリチュアル能力が研ぎ澄まされていて、不思議な出来事が生活の中で当たり前のように起きるのです。

あらゆるものが放つエネルギーに対しても、もの凄く敏感で、例えば誰かが創った何かの作品を見るだけで、その作者の顕在意識や潜在意識も感じ取れるそうで。

ただ、それはとても思慮深くて優しい、すべてにジャッジをしない彼女なので、受け取った感覚について本当に必要なこと以外は口にしないんです。

 

そんな彼女と話していた流れで、フラワーアレンジ作品がどんなエネルギーかを伝えてみて欲しいと言って、写真を見てもらいました。

その中には1つだけ私の作品が、あとの5つは別の方たちの作品が写っていました。

でも彼女には私の作品が写っていることは言わずに。

すると即答で、

「この作品だけ全っ然エネルギーが違う。完璧だわ。めっちゃ綺麗。感動で涙が出そう。」

と言って、私の作品を指してくれました。

私、ビックリ!!!

私が創ったことを伝えると、

「うん。すぐ分かるよ。taeちゃんのエネルギーにしか見えないもん。」と。

何度写真を見直しても、私には全部がいつも通りのお花にしか見えないんだけど。

 

私が放つエネルギーが彼女好みである事に、改めて嬉しくなりました。

そして彼女から言葉をもらって、

「私のエネルギーって、私の大切な人にとっていい感じなんだ。やった!」

って、こんなに素直に大喜びできて受け取れるようになれた私自身を再確認。

むしろさらに言えば、”友人が言葉というカタチのこんなに素敵な贈り物を私へ届けてくれるという現実”  を創りあげたのは、他でもない、この私なのです。

 

私にはエネルギーが見えなくても、スピリチュアル能力が開花してなくても、ちゃんとこうやって私の世界が私を大切にしてくれるという現実を創り出せるんです。

自身への自己受容と自己信頼が深まっていることを教えてくれた出来事でした。

 

私の宇宙さん、いつも本当にありがとうね。

 

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夏ですねぇ

 

 

このあいだ、同じ県内で開催される花火を観に行きました。

中3になる末っ子君に「一緒に花火を観に行こうよ」とデートに誘われたので♡

でもその日は夕方から雨が降り始めて、出発の時には強烈どしゃ降りでした。

フロントワイパーを最大スピードで稼動させて。

雨雲レーダーを確認しながら、車を1時間程走らせて山を登りました。

 

でも、本当はもう分かってたんです。

絶対に雨が止んで、花火が観られる事。

完全に私の中で  ”観れても観れなくてもどっちでも構わない”  と、心底その時の「今」を楽しめていたから。

 

花火が始まる5分前、高台に到着する頃には雨が止み、みごと花火が打ち上がりました。

15分間。

短時間で小規模な花火大会だったけど、打ち上げ数はなかなか頑張ってくださって、見応えは充分でした。

 

花火を観る時に味わう、あの何とも言えない心が喜ぶ感覚はなんでしょうね。

しかも無料で観させてもらえるこの環境。

日本って本当に恵まれている。

なんて素敵な場所に生まれたんだろう。

穏やかな幸せに包まれました。

 

 

話は変わって、夏の甲子園

仲の良いママ友の息子くんが強豪校のキャプテンとして出場しました。

もう、ちっちゃい頃から負けん気でやんちゃで。

聞いててビックリする位の親子ゲンカをするし。

そんな彼は幼くても野球に対して常に本気で挑んでいたし、彼の母親もあらゆる面から全力でバックアップしていました。

インタビューで尊敬する人を聞かれ「母です」と言った彼。

かなり勝ち進んだのですが、甲子園でのプレイは終了となりました。

私も画面越しに涙を流しながら、その親子に、甲子園にいるみんなに、心の中で尊敬と感動の拍手を送りました。

 

 

ここは経験の星だから。

一瞬の経験のために、たくさんのものを積み上げる事もあって。

それを分かってて挑んでいったり。

その一瞬で経験する ”心が震える感覚” に、これから先ずっと支えてもらったりもするから。

 

いま生きてる、を味わえばいいんだなぁって。

本気で感じている夏になっています。

 

 

 

着地ポイントはもう解ってるのにね

 

 

 

 

最近、仕事の業務でお世話になった方へのお礼状を書く機会が増えました。

ほんの少しでも感謝をお伝えできればと思い、手書きのものをお送りすることにしているのですが、さらに自分が心を込められるように筆ペンで書く挑戦をしています。

お習字は小学生の間しか習っていないので、胸を張って披露できる腕前ではないのですが、だからこそ毎回ドキドキしながら真剣に取り組めています。

頭の中で  ”この字はこのカタチ”  というハッキリとした目標というか、好みのフォルムが大抵あるのですが、なかなかそこに向かって筆が進んでくれなくて。

1つの字を何度となく練習してはゲシュタルト崩壊が脳内で起きるので、時間を置いて練習をやり直したり。

脳内にあるカタチが再現されてピタッと当てはまった時には「そう!! これだよ、これ!!」っていう快感が駆け巡って楽しくなります。

着地ポイントはもう自分の中にあるんです。

ちゃんと存在しています。

でもそれを現実世界に表現するのが拙いんです。

 

これは私自身の価値観とか世界観を伝えるということにおいても同じことが起きていて。

自分の中にあるものを人に伝えようとしても、なかなか表現が追いつかないなぁと感じています。

そこで自分に負荷を掛けても仕方ないので「まぁいっか〜」って、そんな自分も丸ごと受け止めるんです。

”解って欲しい” という私の中に生まれる感覚をどんどんクリアリング出来てきているので、そこは気にならないんだけど。

私が私の中に存在する世界をもう少し表現できたら、私がもっと嬉しいのになぁと感じることがあります。

でも表現するには言葉が追いつかないんです。

感覚では確実に感じていて、確かなものなのに。

それと、思考とかクセから出る感情や言動も、自分から出ているものなのに本当に感じている本音とはズレてしまったりもします。

スグに気づくんです。「あ、これ私の本心じゃない」とか「クセがまた出ちゃった」とか。

でもそれらも全ては怖がりさんな自身を守るための安全装置として、今まで使ってきたものだと理解もできてるので「ありがとう。そうだよね。もういいんだよ。」って自分と対話しながらクリアリング。

そんな繰り返しで穏やかな優しい時間を過ごしています。

 

世界のすべては私の鏡で。

私はすべてのものの鏡で。

すべて在るけど、すべては空で。

一瞬は永遠になって、永遠は一瞬に凝縮されて。

左右上下も高低も浅深もない世界に、ただただ存在するすべては、正邪も善悪も貴賤も遅速もなくて。

肉体と思考と感情はそのすべてを感じる地球を確かに生きている。

地球からみえるすべてを、自身の根源へとたどる道しるべにして。

この世界は、

私に必要なことだけ起きる世界。

私が起こしている世界。

私のコントロールがおよばない世界。

矛盾しているような真逆のすべてが当たり前に1つとして作用して存在する世界。

 

これは私だけじゃなく、すべての人に言えることだけど。

着地ポイントは解っているのに。

そもそも、そこが出発地点でいつでもそこに自分が在るのに。

今、このいま、体感が追いつかない(笑)

それを実感する連続です。

そしてそれを受け入れます。

 

 

 

 

私と向き合う

 

 

 

 

もうすぐ春分の日を迎えますね。

去年の春分の日は、思いもよらなかったようなスペシャルプレゼントを受け取った日でした。

私にとって、それはそれは切望していたもので、今までいろいろと乗り越えながら過ごしてきた私へのご褒美だと思いました。

一年経った今も、毎日感謝しています。

 

この夏以降は内なる自分の掘り下げ作業が進んでいて、今は  ”ほぅー”  ってなる時間をちょっと長めに味わっています。

 

キレイな世界を見て生きていたい自分と、

歪んで見える世界を本当は知っている自分、

その中で痛みを無視してやり過ごした過去。

すべてを今の私の出来うる限りで大切に味わいます。

 

自己受容のキャパシティが広がる感覚を得ることもできたし。

過去に経験した痛みが心の奥のほうに静かに沈んでいて、それを呼び起こしては再確認しながら癒して手放す時間にもなりました。

 

人は自分を守るために嫌な記憶を失くしてしまうことがあると言われます。

記憶は失くしても心の傷は残ったままで、時にはそれが本人を苦しめたりもするのです。

自分にもそれが起きていた事に気づきました。

 

なぜだか神社の朱色がゾワゾワと落ち着かない。

湿った土や植物のコケに怖さを感じる。

理由がない自分の感覚が不思議でした。

そして今になってようやく思い出しました。

6歳の頃、大きな神社の本殿裏の薄暗い場所で、浅葱色の袴を着た神主から性的いたずらを受けた記憶を。

”もし自分の娘が同じ事をされたら”  と考えるとたまらなくなるような出来事でしたが、”あぁ、神社が気持ち悪いのはこれだったのか”  と冷静に客観視できる自分にもなっていました。

そしてただ、当時の幼い自分が感じたけど誰にも言えなかった  ”嫌だ”  という感情を、今を生きる大人になった私が受け入れました。

 

その他にも、

 

ウチの子、男子2人が最近にしては珍しく小競り合いを始めた事があったのですが、その時に長男が次男に対しておこなった、ちょっとした動作で、私はフラッシュバックを起こしました。

兄から受けた虐待の恐怖が今になって呼び起こされたのです。

いつ始まるか分からなかった兄からの自分への攻撃は、結構深い傷になってるんだなぁと再確認でした。

これまでにも、何度も何度も泣いてあの時の感情を味わっては手放しをするワークを繰り返しやってきたはずなんだけど、楽になってるはずなんだけど、兄を許して今は大好きなんだけど、やっぱりこうしてフラッシュバックを起こすんだと、正直に言えばショックでした。

感情のコントロール不能になり、半日泣き崩れた後に寝落ちしてようやく落ち着きました。

でも落ち着きを取り戻してから感じた事は、今が安全安心の中にいるからこそ、この痛みを吐き出せたんだという、私のインナーチャイルドからのメッセージでした。

かつての私は「大丈夫。こんなのたいしたことじゃない」と常に自分の痛みを抑えつけて生きてきたので、やっと気兼ねなく解放できる自分になったんだと感じました。

兄はその当時の記憶をほとんど覚えていません。

今も思い出せないそうです。

兄にとっても深い深い心の傷になっている証拠だと思っています。

 

みんな、あまり人に言わないだけで、奥底に治り切らない傷を抱えて生きています。

自覚のあるなしに関わらず、傷はいつも鈍い痛みを伝えてきています。

どれだけキレイな世界で生きようとしても、その傷を放置したままでは進めなくなるタイミングが来ます。

痛みを感じたままで深い沈黙を続けてきた健気な自分を大切に大切に抱きしめる、そんな今です。

心の奥の奥にあるほんとのところは、自分でしか癒せないから。

 

今日たまたま、すれ違った人も

いつもニコニコしている会社の先輩も

私と全然違う時間を過ごして生きてきているけど

それぞれ痛みをそっと抱えているのだと思います。

みんな、一緒。

自分自身の内面を受け入れて、愛おしいと思うたびに

他者への愛おしさを感じます。

人ってこんなに強いけど、

人ってこんなに繊細だから。

人ってとってもずるいけど、

人って限りなく真っ直ぐで正直。

生きてるって、愛おしい。

 

私の内側の世界と

外側の世界にあるすべての

どす黒い陰と真っ白な輝きを

そっくりそのまま

「在るよね。そうだよね」

正面から受け入れて

そう言える私に逢いたい。

そんな旅路です。

 

 

私って?

 

 

 

今、「自分って何?」をやってます。

いろんな方向から。

 

全然タイプの違う先生2人に、それぞれのカリキュラムに沿って指導を受けながら、私の中を掘り出し中です。

 

以前から自分をカテゴライズできるタイプを探すのは好きなのでいろいろ試しました。

 

ユング心理学のタイプ論を発展させたMBTIを基にした性格診断や、

ポジティブ心理学の提唱者であるセリグマン博士が使用する強みを知るVIAテスト、

誕生日、名前の両方から割り出す数秘術

マヤ暦なども。

あまりしっかりと理解はできないんだけど、四柱推命ホロスコープも。

 

不思議とやっぱりどれも同じような結果が出ます。

なので、自分はこういう傾向があるんだなぁっていうのは把握できてきています。

 

じゃあ、何をしている時いちばん楽しいか?

そして楽なのか?

私にとって、脳科学や心理学で言われる「ikigai」になる活動は何なのか?

 

その質問を自分に向けても「????」

漠然としていて、まだピンとこないのです。

だから自分の中にある答えを掘り起こす作業をしています。

 

ひとりの先生は本当にユニークで、心理学、行動学、CIAの超能力開発訓練法なども学んでたり、生まれ持ったスピリチュアル能力もある方です。

他にもめちゃくちゃたくさん学ばれていて、そのスキルで私を分析してもらいながら、私自身もワークを重ねて変化していきます。

その先生のカリキュラムに遺伝子を調べて強みや弱みを分析するというのがあり、ただいま私の遺伝子を専門機関で検査中です。

結果を知って、先生の分析を聞くのが本当に楽しみなんです。

 

私はスピリチュアルも好きですが

せっかく地球に生まれたのだから

人間の積み上げた現実的なものも味わいたい派です。

だからDNA検査、オモシロイと思います。

ワクワクする〜♡

 

その先生と先日、個人セッションをしました。

私の人生の中で過去に起きたインパクトのある出来事を整理して書き出すという課題を提出したうえで、おこなったのですが。

 

先生もビックリされていました。

「まるで岩山の険しい道をよじ登ってきたような人生ですね」って(笑)

確かに、なかなか人には話せない事も経験してきたのかなと思います。

このブログに書いているのも、ほんのひと握りの出来事だけ。

「何より、これだけたくさん傷ついてきたのに、その痛みをもうすでに解放して、手放せているのがすごい」と言ってくださいました。

すごーく嬉しかったです。

自分と向き合ってきた私、頑張ったなぁ。

 

悲しい出来事が起こらなくなったわけではないのです。

今だって、悲しい事は起きます。

ただ、捉え方が変わってきています。

何を学ぶ時なのかを考えて、自分の中で答えを探します。

 

私は夏生まれなのですが

いつ頃からか誕生日当日もしくは誕生日が近づいてくると

自分にとって心を揺さぶる大きな出来事が起きるようになっています。

ポジティブな嬉しい出来事の時もあるし、

ネガティブなショックを受ける出来事の時も。

そのたびに、「あー、これを経験して感じるために起こったことなんだ」という答えを後で知ります。

そして「おかげで豊かな生き方になりました。ありがとう」ってなるんだけど。

そう行き着くまでが迷路だったりするのです。

 

そして今年もまさに起こりました。

心を揺さぶる出来事。

誕生日当日に(笑)

破壊と創造です。

こっからまた立て直すんです、自分を。

まさに、生きてるってことを実感します(笑)

 

 

知らないことがオモシロイ

 

 

最近ハマっているのが、講演動画を見ることです。

ある専門分野を追求されておられる方が

とっても難しいことをわかりやすくお話されるので

一瞬めっちゃ分かった気になります。

そんな自分がオモシロイ。

 

脳科学者の中野信子さんだったり、

茂木健一郎さんだったり、

解剖学者の養老孟司さんだったり、

物理学者の大栗博司さんだったり、

江口徹さんだったり。

 

特に今は物理学の「素粒子がヒモ」とか「ヒッグス素粒子やるなぁ」って話がオモシロイです。

きっと超難しいことを説明してるはず。

なのに、高校の時に物理のテストで3点をとって(100点満点で)、先生を別の意味で唸らせた私にもなんとなーく分かった気にさせるなんて、すごいって思います。

 

何より知らなかったことを知るのが楽しい ♪

すぐに忘れてしまう情報になるかもだけど、私の脳みそを1度通りすがって感動を落としていってくれたのが嬉しい(笑)

 

人間って宇宙に行く技術を得て、実際に行ってるけど、実は宇宙のこと5%しか分かってないとか。

「よく行ったよね…。科学者の度胸が凄い」って思う。

 

いま私たちが使いこなせるタイムマシンは望遠鏡で、天体観測はまさにタイムトラベルなんだって。

そんな風に捉えたことなかったなぁとか。

 

どうやら有名らしい数学の「フィボナッチ数列」のことも、つい昨日知って大感動しました。

いまフラワーアレンジで植物に触れる機会が多いから、なおさら熱い!!

ことあるごとに花びらや葉っぱの数を数えたくなります。

 

宇宙オモシロイ。

地球キセキ。

 

たくさんの出来事が重なって重なって

気が遠くなるようなバランスで

今があるんだと感じると

めちゃくちゃ幸せですね。

 

教えてくださる方がいることにも

簡単に情報に触れられるこの環境にも

ただただ、感謝と感動です。

 

宇宙の話聞いたあとって、瞼の裏に宇宙が広がっていくから気持ちよくて、なんとなく寝付きもいいですよ(笑)

 

見守りたいなぁ

 

 

 

ウチの長男は野球少年でした。

でも始めた年齢が周りと比べて遅かったり、持ち合わせたセンスの問題もあったりして(笑)、なかなか輝かしい活躍とまではいきませんでした。

それでも本人は楽しんで真剣に取り組んでいたと思います。

少年野球の頃から朝5時半に起きて走り込みをしていたり、身体作りでご飯もたくさん食べたり、放課後の練習も休まず参加して、とにかく野球中心の生活でした。

少年野球でのチームは県大会に時々進めるくらいの強さでした。

でもその当時、彼の時間は遊ぶ事よりも野球で埋め尽くされていたと思います。

サポートする側の私も土日は野球漬けで、顔にできたシミをみるたびに炎天下で子どもを見守った  ”母親としての勲章”  かなと思います。

 

だから昨年、夏の甲子園が中止になったと知った時、私は「そっかー。そっかー。」とひとり言を呟きながら、涙がポロポロ出ました。

ウチの子が関係しているわけでは、まったくなくて。

ただ、甲子園を目指して野球をしている高校生たちが、小さい頃からどれだけの時間を使ってどんな努力を積み重ねて取り組んでいるのか、どんな想いと向き合って今を過ごしているのか、想像できるから。

ご家族がどんな想いで全寮制の高校に我が子を送ったんだろう…とか。

現場を見て、聞いて、知ってるから。

その後、交流戦があることを知って、ほんの少しでも彼たちの慰めになればなぁと思いながら応援していました。

 

娘も昨年は中学生最後の部活で。

娘以外は全員初心者というバレーボールチームだったけど、チームメイトの驚異的な身体能力のおかげで県内ベスト8になる程のチームへと成長しました。

そうなるまで、本当に厳しい練習をこなして。

でも最後は引退試合を持てないまま幕を引きました。

 

小さな小さな私の周りの世界で起きた出来事でも、たくさんの想いを感じました。

 

だから、オリンピックを目指してきた選手の皆さんにとって、納得のいくこの夏になればいいなぁと思います。

 

みんなそれぞれの立ち位置があって。

うん、分かってる。

みんなも、それをちゃんと分かってる。

だから誰も攻撃し合わない世界であって欲しいなぁ。

ただただ、今まで取り組んできたことが、ご本人の実力とは関係ないところで悲しみで終わってしまう事のないように。

優しい世界が発動しますように、見守りたいです。

 

自身の限界や可能性と向き合う強さを持って

挑み続けた方々の今までとこれからに

心からの尊敬とエールを送ります。