着地ポイントはもう解ってるのにね
最近、仕事の業務でお世話になった方へのお礼状を書く機会が増えました。
ほんの少しでも感謝をお伝えできればと思い、手書きのものをお送りすることにしているのですが、さらに自分が心を込められるように筆ペンで書く挑戦をしています。
お習字は小学生の間しか習っていないので、胸を張って披露できる腕前ではないのですが、だからこそ毎回ドキドキしながら真剣に取り組めています。
頭の中で ”この字はこのカタチ” というハッキリとした目標というか、好みのフォルムが大抵あるのですが、なかなかそこに向かって筆が進んでくれなくて。
1つの字を何度となく練習してはゲシュタルト崩壊が脳内で起きるので、時間を置いて練習をやり直したり。
脳内にあるカタチが再現されてピタッと当てはまった時には「そう!! これだよ、これ!!」っていう快感が駆け巡って楽しくなります。
着地ポイントはもう自分の中にあるんです。
ちゃんと存在しています。
でもそれを現実世界に表現するのが拙いんです。
これは私自身の価値観とか世界観を伝えるということにおいても同じことが起きていて。
自分の中にあるものを人に伝えようとしても、なかなか表現が追いつかないなぁと感じています。
そこで自分に負荷を掛けても仕方ないので「まぁいっか〜」って、そんな自分も丸ごと受け止めるんです。
”解って欲しい” という私の中に生まれる感覚をどんどんクリアリング出来てきているので、そこは気にならないんだけど。
私が私の中に存在する世界をもう少し表現できたら、私がもっと嬉しいのになぁと感じることがあります。
でも表現するには言葉が追いつかないんです。
感覚では確実に感じていて、確かなものなのに。
それと、思考とかクセから出る感情や言動も、自分から出ているものなのに本当に感じている本音とはズレてしまったりもします。
スグに気づくんです。「あ、これ私の本心じゃない」とか「クセがまた出ちゃった」とか。
でもそれらも全ては怖がりさんな自身を守るための安全装置として、今まで使ってきたものだと理解もできてるので「ありがとう。そうだよね。もういいんだよ。」って自分と対話しながらクリアリング。
そんな繰り返しで穏やかな優しい時間を過ごしています。
世界のすべては私の鏡で。
私はすべてのものの鏡で。
すべて在るけど、すべては空で。
一瞬は永遠になって、永遠は一瞬に凝縮されて。
左右上下も高低も浅深もない世界に、ただただ存在するすべては、正邪も善悪も貴賤も遅速もなくて。
肉体と思考と感情はそのすべてを感じる地球を確かに生きている。
地球からみえるすべてを、自身の根源へとたどる道しるべにして。
この世界は、
私に必要なことだけ起きる世界。
私が起こしている世界。
私のコントロールがおよばない世界。
矛盾しているような真逆のすべてが当たり前に1つとして作用して存在する世界。
これは私だけじゃなく、すべての人に言えることだけど。
着地ポイントは解っているのに。
そもそも、そこが出発地点でいつでもそこに自分が在るのに。
今、このいま、体感が追いつかない(笑)
それを実感する連続です。
そしてそれを受け入れます。