心の中の少年
ホ・オポノポノという有名なヒーリングがあります。
特に、イハレアカラ・ヒューレン博士という方が提唱する捉え方が私にはとても心地よくて。
☆☆☆☆☆
私が見た、聞いた、触れた、他のどんな方法であれ、私が経験するすべてのものが、私の責任である。
私の人生の中で起こっていることなのだから。
テロ事件でさえ、その現実に触れたのならそれは私の中にあるものが創りだしたもの。
すべての事象は私の内面が投影されたもので、問題は彼らに関するものではなく、私に関するもの。
私が経験していて不満に思っていることを癒すのは、私次第であるということ。
癒しとは、私自身を大切にする、愛するということ。
私を癒すことが、私の外側のすべてを癒すということ。
☆☆☆☆☆
今はまだブレブレで、”負の感情の経験も良し” としている私なのですが、行き着くところ、こんな私で在りたいなと思います。
少しずつ経験しながらこっち方向に寄せていこう笑
現実での世界において、自分と他者の課題に線引きをすることの大切さを、実体験をもってして、ずっと感じてきました。
それは現実世界を変えようと意図して他者と接するということは、外側を変えてやるというコントロール欲求を持っている内側の問題が顔を出しているということ。
だから自分は自分、他者は他者として、余分には抱え込まない。
そして内側ではすべての問題が自分の責任であると受容して、ただ自分と向き合っていく。
まったく真逆のように見えて、ちゃんと繋がっているんですね。
私は最近よく、ある少年と一緒にいます。
と言っても、それは心の中でのこと。
現実世界にとても仲が良い4人の男性がいます。
たくさんの出来事を4人で経験して。
いつも4人で支えあって進んでいます。
ある時、その内のひとりが起こした行動が、結果的に他者に迷惑を掛けてしまうことになりました。
そしてそのことは一部の人の心を傷つけてしまったかも知れません。
だから今は4人で居られなくなりました。
以前から私にはその4人の過去世が見えていました。
イギリスの牧草地で、家族が楽しそうに暮らしていました。
寡黙だけど優しくて働き者な父親。
美人で朗らかな落ち着いた母親。
12歳ぐらいのしっかりした少年。
そしてまだ走るのもおぼつかない幼い男の子。
父親はとても母親のことを愛していました。
もちろん子どもたちも。
母親が家族の真ん中にいて絆を結んでいました。
でもその母親は早くに亡くなってしまいました。
残された家族を支えたのは、たくさんの悲しみや不安、寂しさを我慢強く飲み込んで明るく穏やかに振る舞い続けた少年でした。
もう一度、会いたい。一緒にいたい。
そうやって魂が願って、今の現実世界で願いを叶えて出逢った4人なのだと私は思いました。
今、現実世界でその4人に起きていることは潜在意識が抱える傷の精算だと私は受け止めています。
過去世で感じた悲しみを持ったままで、まだ泣くことすらできないでいる少年が彼の心の中にいるのを感じました。
家族といる時にあんなにいい笑顔で笑っていた少年の表情は凍りついていました。
その悲しみが私に伝わってきました。
私は私の心の中で
過去世の少年と、現実世界のその男性に
ホ・オポノポノの言葉である
「ありがとう」
「ごめんなさい」
「許してください」
「愛しています」
を伝え続けています。
ある日、いつも通り心の中で少年にハグして言葉を伝えると、私の感情が大きく揺れ出しました。
止められない涙が溢れてきて、
心底から「本当にごめんなさい」と感じました。
「あなたに悪者のような振る舞いをさせてしまってごめんなさい」
「あなたに嫌な役を押し付けてごめんなさい」
「こんなに愛で溢れるあなたなのに、気が付こうともしなくてごめんなさい」
「すべては私たちに気付かせるためにしてくれたこと。ありがとう。本当にありがとう」
彼の透明な心に一瞬触れました。
その時に私たちのカルマなんだと気が付いたのです。
自分の底から湧き上がるような
「ごめんなさい」と
「ありがとう」を
涙とともに体感しました。
その日から少年の彼とよく一緒にいます。
表情も時々はにかんだようにしてみたり
だいぶと柔らかくなっています。
彼がいつか涙をみせてもいいんだと安心できるようになるくらい、声を出して笑ってくれるくらい、私のカルマを癒せたらいいなと思っています。
すべては自身の内側にある世界の出来事だけど。
私にとってはこれが真実なのです。