*** soul-stirring *** 魂の感じるままに

心が揺さぶられるような喜びや感動で日々を過ごしていきたい。いつも前を向いて笑っていこう。こんな私でもALL O.K !!

心の中の少年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホ・オポノポノという有名なヒーリングがあります。

特に、イハレアカラ・ヒューレン博士という方が提唱する捉え方が私にはとても心地よくて。

 


☆☆☆☆☆

私が見た、聞いた、触れた、他のどんな方法であれ、私が経験するすべてのものが、私の責任である。

私の人生の中で起こっていることなのだから。

テロ事件でさえ、その現実に触れたのならそれは私の中にあるものが創りだしたもの。

すべての事象は私の内面が投影されたもので、問題は彼らに関するものではなく、私に関するもの。

私が経験していて不満に思っていることを癒すのは、私次第であるということ。

癒しとは、私自身を大切にする、愛するということ。

私を癒すことが、私の外側のすべてを癒すということ。

☆☆☆☆☆

 


今はまだブレブレで、”負の感情の経験も良し” としている私なのですが、行き着くところ、こんな私で在りたいなと思います。

少しずつ経験しながらこっち方向に寄せていこう笑

 


現実での世界において、自分と他者の課題に線引きをすることの大切さを、実体験をもってして、ずっと感じてきました。

それは現実世界を変えようと意図して他者と接するということは、外側を変えてやるというコントロール欲求を持っている内側の問題が顔を出しているということ。

だから自分は自分、他者は他者として、余分には抱え込まない。

そして内側ではすべての問題が自分の責任であると受容して、ただ自分と向き合っていく。

 


まったく真逆のように見えて、ちゃんと繋がっているんですね。

 

 

 

私は最近よく、ある少年と一緒にいます。

と言っても、それは心の中でのこと。

 


現実世界にとても仲が良い4人の男性がいます。

たくさんの出来事を4人で経験して。

いつも4人で支えあって進んでいます。

ある時、その内のひとりが起こした行動が、結果的に他者に迷惑を掛けてしまうことになりました。

そしてそのことは一部の人の心を傷つけてしまったかも知れません。

だから今は4人で居られなくなりました。

 


以前から私にはその4人の過去世が見えていました。

イギリスの牧草地で、家族が楽しそうに暮らしていました。

寡黙だけど優しくて働き者な父親。

美人で朗らかな落ち着いた母親。

12歳ぐらいのしっかりした少年。

そしてまだ走るのもおぼつかない幼い男の子。

 


父親はとても母親のことを愛していました。

もちろん子どもたちも。

母親が家族の真ん中にいて絆を結んでいました。

でもその母親は早くに亡くなってしまいました。

残された家族を支えたのは、たくさんの悲しみや不安、寂しさを我慢強く飲み込んで明るく穏やかに振る舞い続けた少年でした。

もう一度、会いたい。一緒にいたい。

そうやって魂が願って、今の現実世界で願いを叶えて出逢った4人なのだと私は思いました。

 


今、現実世界でその4人に起きていることは潜在意識が抱える傷の精算だと私は受け止めています。

過去世で感じた悲しみを持ったままで、まだ泣くことすらできないでいる少年が彼の心の中にいるのを感じました。

家族といる時にあんなにいい笑顔で笑っていた少年の表情は凍りついていました。

その悲しみが私に伝わってきました。

私は私の心の中で

過去世の少年と、現実世界のその男性に

ホ・オポノポノの言葉である

「ありがとう」

「ごめんなさい」

「許してください」

「愛しています」

を伝え続けています。

 


ある日、いつも通り心の中で少年にハグして言葉を伝えると、私の感情が大きく揺れ出しました。

止められない涙が溢れてきて、

心底から「本当にごめんなさい」と感じました。

「あなたに悪者のような振る舞いをさせてしまってごめんなさい」

「あなたに嫌な役を押し付けてごめんなさい」

「こんなに愛で溢れるあなたなのに、気が付こうともしなくてごめんなさい」

「すべては私たちに気付かせるためにしてくれたこと。ありがとう。本当にありがとう」

彼の透明な心に一瞬触れました。

その時に私たちのカルマなんだと気が付いたのです。

自分の底から湧き上がるような

「ごめんなさい」と

「ありがとう」を

涙とともに体感しました。

 


その日から少年の彼とよく一緒にいます。

表情も時々はにかんだようにしてみたり

だいぶと柔らかくなっています。

彼がいつか涙をみせてもいいんだと安心できるようになるくらい、声を出して笑ってくれるくらい、私のカルマを癒せたらいいなと思っています。

 


すべては自身の内側にある世界の出来事だけど。

私にとってはこれが真実なのです。

 

 

 

 

 

男性性と女性性との間に生じるギャップに驚く

 

 

 

 

 

 

 


私の職場はとても自由な雰囲気があります。

それぞれの個性を大事にしてくれます。

お休みも取りやすく、子どもの行事や家族の事を最優先にさせてもらえるし、ペット同伴出勤をしている人もいます。

例えば朝、遅刻してしまったとしても、

「寝坊しました」と正直に告げられる環境で。

それを笑いながら受け入れてくれる人たちと働いています。

 


昨日、そんな職場でちょっとした一悶着がありました。

いちばんトップの上司は男性的なキャラクターの人で、ほとんどが男性スタッフで形成されている職場の中で力強い求心力を発揮されています。

人間味が溢れていて人を惹きつけるエネルギーが強いけど、尊敬からか多くの人は一歩引いた距離で接しています。

そんな上司は、なぜだか私とは本当に砕けて話をしてくれます。

私も気負わず話すことができて会話も楽です。

そして私の隣のデスクで働く、女性の先輩と私にだけ甘えてきます。何かと諸々…。

上司が席を置く部署にも男性&女性スタッフがいるのに、わざわざ私たちの部署まで来て、あれこれ頼んできます。

「甘いお菓子、持ってない?」

「お茶入れて欲しいな」

「資料の準備してよ」

「これ調べておいて。ちょっと急ぎで」

明らかに自分が席を置く部署の仕事内容なのに結構な量を持って来て、やり方が分からないって言うとわざわざ丁寧な説明もちゃんとしてくれます。

”向こうの部署に人がたくさんいるのに、なんで離れている部署の私たちに言うの?”

一緒の部署で働く先輩と私は首をかしげる事が多くありました。

ただ女性蔑視で言ってないのは分かるので、そこは気にならないのですが…。

本当に嫌な事がひとつだけありました。

先輩と私の業務スケジュールを把握したがるのです。

しかも、私たち二人の分だけ。

「毎朝スケジュールをLINEにちょうだい」

そう言われて報告するものの、納得がいきませんでした。

毎朝少しでも報告が遅くなると「予定教えて」とLINEがすかさず入ります。

”仕事をサボっていると思われてる?”

”私たちのこと、暇だと思ってる?”

先輩と二人で話をするけど答えは分からないのです。

だから去年、直接本人に納得できないことを伝えて理由を聞きました。

その時の答えは「仕事なんだから、いいからやって」でした。

何それ!?  私たちだけどうしてそんな扱いなの!?

と思ったけど、仕事なのは事実だし。

そしてそんな言葉を言われて腹を立てた自分を内観した時に感じました。

”部外の仕事を頼まれたり、子どものようにワガママなお願いを聞くのが嫌なんじゃないんだ。

ギュッと縛りつけて管理されて、監視されてる感覚が嫌なんだ”

だから上司の彼が原因の100%ではないことに気が付きました。

私の ”束縛を嫌う感じ方” にも原因がありました。

だから怒りの感情の手放しをして、彼が甘えられる場所が私たちなんだということを受け入れました。

 


そして昨日のこと。

朝から忙しくしていて、スケジュールの報告が遅れている私たちの部署に来て、何か言いたげにソワソワしている上司に腹を立てた先輩。

「今までずっと疑問でしたけど、私たちだけスケジュール管理される納得のいく理由を教えてください」と伝えた先輩に、上司は逆ギレして怒ってしまいました。

でもよくよく話を聞いていると、

二人ともどんな事をお願いしても快く引き受けてくれる。

しかも完璧にやってくれるから安心できるし、信頼してる。

二人にしか仕事を頼みたくない。

でも無理させたくないからスケジュールを知っておきたい。

どうしてスケジュールを教える事に抵抗するのか理解できない。

そういう内容でした。

…今まで、言葉足らずが過ぎるでしょうよ…。

だから私が上司と先輩の間に入って、私たちは上司の気持ちが理解できなくてずっと疑問だったし、信用されてないと感じて悲しかったこと。以前に理由を聞いたら「いいからやって」と言われて傷ついたことを伝えました。

上司は「俺、そんな事言ったの!?」って言ってすごく謝ってくれました。

そして、私たち二人を頼りにしていることや、コミュニケーションをしっかり取っているつもりだったのに誤解があったことにショックを受けていると話してくれました。

最後には「本音を言ってくれて良かった。ちゃんと思ったこと言ってくれていいから。二人は特別なんだ。これからも甘えさせてよ。」って。

先輩と二人、内心では ”しょうがないなぁ…” と思いながらも疑問が解けてスッキリしました。

そして信頼してもらっていると知れて嬉しかったです。

 


今回の事で、男性性と女性性の違いをとても感じました。

男性側から表面で見えている現象や態度と、内心で抱える感情にこれ程までにギャップがあるんだと。

男性側で良かれと思ってやっている気遣いや思いやりが、女性側にはちっとも伝わっていないのです。

むしろ女性側はその不可解な行動に傷つきます。

そして女性側は納得さえしていれば、負担があったとしても大抵のことは受容できるのです。

だから納得が欲しくて起こした行動だけれど、それは男性側には ”詰められている” と受け取られてしまいやすいのです。

 


私たちと上司は仕事上の関わりだし、仕事外での甘えたお願いも彼にとってはただのコミュニケーションのひとつで、母と息子のような空気感です。(上司の方が年上ですが…笑)

でもこれが恋愛感情を持つパートナーだったら、そりゃ、すれ違っちゃうよね…と思いました。

そして社内にいる、彼の可愛らしい恋人の女性スタッフに心からエールを送りたいと思いました。

 

「彼氏さん、だいぶ分かりづらいけど、諦めないであげてねー!!」

 

 

 

普通の日常が奇跡の宝物

 

 

 

 

 

ある日の晩のこと。

久しぶりにリビングに家族が集結。

バイトで忙しい長男も。

受験勉強で部屋に籠りがちな娘も。

いつも通りリビングでゴロ寝している次男も。

 

正方形のホットカーペットの半分だけ電気を入れて暖かくして。

その狭いスペースにしっかりと大人の身体の大きさをした4人が収まって。

客観的に傍から見るとなかなか笑える光景で。

”もう半分カーペットを暖めればいいのに” とは誰も思い付かず。

ごく自然に身を寄せあってた。

娘が長男に数学の問題を質問して。

長男がそれに優しく答えていて。

次男はやっぱりいつも通りゴロ寝してスマホを触っていて。

私は洗濯物を畳んでいて。

 

娘と長男のやり取りする声を聞きながら

涙がポロポロ溢れ出した。

”あぁ〜私、本当に幸せだな。”

心から実感して、胸が優しく切なくて。

この光景が ”今までの私” が歩んだ道の答えのようにも思えて。

”私の生き方、いい感じだよ” とサインをもらえたような気がして。

 

いきなり泣き出す母に慣れている子どもたち。

とはいえ、泣き出すツボが理解できないので

「情緒不安定か?!」

ツッコミを入れる長男。

「いつも、いきなり過ぎてビックリするわ。」

つぶやく次男。

鼻で笑う娘…笑。相変わらずクールだ。

「幸せ過ぎて、嬉しくって。」

泣きながら返事すると

「幸せボケかよ 笑」と長男。

そうです。幸せボケです。

 

もう、愛しい。切ない。愛しい。

 

子どもたちの年齢を考えると

もうあと何回もない、こんな光景。

私にとっては奇跡の宝物。

 

きっと、一生忘れない。

 

 

 

 

 

 

 

気ままにドライブ

 

 

 

 

 

 

数日前に、友人とランチがしたくてカフェをネット検索していたら、すっごく不思議な雰囲気のお店を見つけちゃいました。

あまりにも独特な感じだったので、友人を誘うのは違うお店にしたのですが…。

どうしてもそのお店が気になる。。。

なので、今日思いつきでそのカフェに行くことにしました。

車で1時間ちょっと。

高速を使ったらもっと早く着くけど、下道をゆっくりご陽気にドライブ。

 

お目当てのカフェに入ったら、やっぱり独特な雰囲気で、でもとても静かな落ち着いた空間で。

素っ気ないのに愛情を醸し出してる店主さんの人柄とか、センスとか空気が素敵でした。

私には縁遠いインテリアだったのですが、1つ1つにドキドキして「あれ?私こんなテイストが実は好きだったのかな?」と不思議でした。

何となく心惹かれる空間で、とても楽しめました。

 

お店を出て、真っ直ぐ帰るのがもったいなくなって。

もうちょっと走った所に海があるので、ついでに行ってみようと思いたちました。

砂浜があるエリアではなく、工業地帯の港までドライブ。

独身時代に、真夜中にどっかの工業地帯を見に連れて行ってもらってた事もあったなぁと、ものすっごく懐かしい出来事を道すがら思い出したりして。

夕方だったので、オレンジの空が綺麗でとても楽しめました。

 

f:id:soul-stirring:20210117213155j:image

 

来て良かった。

幸せな気分になれました。

 

帰る時、わざと通ったことのない道を使って帰りました。

ちょっとドキドキしながらも、初めての風景に刺激を受けたように感じます。

右折しそこなったり、勝手にバイパス的な道に入ってしまったりして、えらい所まで連れて行かれて何回かUターンしたけど笑。

すっごく楽しい1日でした。

自分をワクワクさせるネタ、また探します。

 

 

 

痛いの痛いの飛んでいけ

 

 

 

 

 

いま、過去の感情と向き合っています。

その当時にスルーしてしまった感情。

押さえ込んでしまったもの。

私の心のどこかから、顔を出してきました。

もう過ぎ去ったはずの感情が、ちゃんと向き合い解放してもらうことを望んでいます。

私の中で整理していたのですが、あまりにも堂々巡りを繰り返すので、このブログ(=公開日記)に書いてインターネットの波動に乗せて手放そうと思います。

文字にしたものを私自身が見ることで、私の中がクリアになるような気がするので。

 

 

 

ずっとずっと、大好きな人がいました。

はっきりと恋愛対象として好きなんだと気が付いたのは中2の時でした。

でも思い返すと、異性として意識したのは小5の時で、その人の存在を無意識に求めていたのは実は記憶が残っている3歳の時からでした。

とても近い存在で、どの女の子よりも特別扱いしてもらえました。

でも恋愛関係になってはいけない ”しがらみ” がそこにはありました。

 


その人への恋心をやっと手放せたのは、実はこのブログを初投稿した日の数週間ほど前でした。

今はスッキリとしていて、新たに感じている愛しい人への感情と向き合えていると思うのですが。

自分でもため息が出てしまうほど長い長い片想いでした。

本当に、本当に、苦しみました。

 


中2の時から大人になってもずっと、その人が別の女性と結婚する時に喜べる自分、その人の幸せを本気で願える自分をシュミレーションして生きていました。

そしてある日、その人の結婚報告と結婚式への招待を受けて、「おめでとう。お祝いのウェディングベアを手作りしてプレゼントするね。」

そう笑いながら告げて。

その日から毎日、泣きながらクマのぬいぐるみを縫っていました。

 


そんな時に出逢ったのが元夫でした。

まるで悲しみから救い上げてくれるように私を受け入れてくれて、求めてくれました。

安心できる居場所を与えてくれました。

言葉でも態度でもたくさんの愛情を伝えてくれました。

とても大切にして、愛してくれました。

子どもが3人産まれてもそれは変わりませんでした。

 


それなのに同じ熱量で応えられない自分の本心を感じていました。

時々、片想いしていた人を思い出しては切なくなって隠れて泣いていました。

 


ある時期から元夫に違和感を感じ始めました。

女の勘なのか、彼の心変わりにすぐ気付きました。相手の女性が誰なのかも直感で分かりました。私も交流のある女性でした。

自分の安全地帯が侵されそうな不安を感じつつ、気のせいだと自分に言い聞かせました。

段々と2人の距離が近くなるのを感じ取っていました。いつ初めて身体の関係を持ったか、その後もいつ隠れて会っていたのか、本当は全部気が付いていました。彼が帰宅時に纏っている空気感、声のトーン、目線の動きですべて分かってしまうのです。

こんな自分の感覚に苦しみました。

 


明らかな状況証拠や物的証拠が揃っていく中で、それでも彼を信じられない自分を責めました。

自分の居場所がなくなっていくのが怖かった。

そして自分自身の後ろめたい気持ちで潰れそうでした。

”しっぺ返し”    ”自業自得”

そう思いました。

彼の心変わりを知っても、嫉妬心を感じていない自分にゾクッとするのです。

居場所をなくす恐怖を感じても、彼を奪われることに苦しみを感じていない私の本音に愕然としたのです。

そして少しずつ現実を受け止める覚悟を固めていました。

 


ついに彼からようやく告げられました。

「本気で好きになった人がいる。別れて欲しい。」

そこからゆっくり穏やかに話し合いをしました。

ずっと前から、もっと私の愛情が欲しくて寂しかったと。今の彼女が満たしてくれたんだと。

彼への申し訳なさが込み上げました。

でも一番強く感じたのは「愛した人に愛してもらえて、これから一緒にいれるんだ。いいな。羨ましいな。」という思いでした。

どこまでいっても自己中心的な思考で、想い人が真ん中に居座る自分の頭の中が、ひどく醜く感じました。

話し合いの結果、経済的な事や子どもたちへの影響を考えて別居という選択をし、次の日には彼は家を出ました。

その日から離婚が成立するまでの約5年間、私はお相手の女性から彼の戸籍を奪っているという罪悪感に襲われ続けました。なのに経済的な事や子どものためという理由で離婚に踏み切れませんでした。

離婚が成立した時、本当に苦しみから解放された安堵を感じ、ようやく最低な自分と決別できると思いました。

 


最近ゆっくりと当時を思い返してみて、自分への嫌悪感と罪悪感から、感情を感じないようにずっと押さえ付けていたことに気が付きました。

自分勝手だなぁと、今振り返っても思います。

でも過去の自分があったから今の自分なんだなぁと許せたし、その時の私なりに精一杯生きていたので愛しいと思います。

ただ、その時々であまりにも必死すぎて、感情を感じ切っていなかったから、その作業をちゃんと自分自身にしてあげようと思います。

 


☆☆☆☆☆☆☆☆

 


守ってもらえる居場所を失うのが本当に恐ろしかったね。誰かに ”大丈夫” って抱きしめてもらいたかったよね。大声出して泣き叫びたかったのにできなかった。怖かったら泣いて叫んでいいんだよ。自分で自分の身体を抱きしめて守ってあげて。そうやって感情を吐き出していいんだよ。

子どもたち3人のこれからを私ひとりで責任を持つのがすごく心細かった。子どもたちに私の動揺を悟られないように必死だったよね。いつも歯を食いしばって笑顔を作ってた。強い母を懸命に演じ切ったと思う。頑張ったよ、ありがとう。

人として最低な自分を責め続けて苦しかったよね。女性として失格の烙印を押されたような気がして傷ついたよね。でも私はちゃんと存在していていいんだよ。自分を消し去ったりしなくていい。ありのまま受け止められるようになるから。

お互いに責める言葉は言わなかったけど、きっとあなたも私の心に誰かがいる事に気が付いていたんだよね。心から寄り添えなかったこと、ちゃんと素直に謝れなかった。長い間、寂しくさせて傷つけて本当にごめんなさい。言葉でちゃんと伝えられないままでごめんなさい。いっぱい愛してくれてありがとう。そして私では満たされなくなった自分を責めたよね。彼女に将来の話をしてあげられない環境に苦しんだよね。もうお互いに自由になろうね。幸せでいてね。

彼との人生を歩む邪魔をしてしまってごめんなさい。すぐ側にいるのに、彼と夫婦になれない苦しみはとても深いものだったはずです。どうか許してください。そして今は2人でどうか幸せでいてください。

 


☆☆☆☆☆☆☆☆

 


ふぅー。。。

やっと当時の自分と向き合えたように思います。

前から感情の解放をやってたつもりでいたけど、文字にしたら誤魔化せないから、今日しっかり見つめる事ができました。

誰かの目に留まる可能性があるブログにあえて書くことについて、頭の中の私にとってはかなりの抵抗がありますが、心の奥の私がそう望むので、それに従います。

 


この経験を通して、学ぶことが本当にたくさんありました。

だから感謝。

 


そして私の新しい恋愛観ができました。

☆ これからは自分が本気で好きになった人とだけ愛し合う。

☆ パートナーがいる人とは決して関係をもたない。

☆ 婚外恋愛をしている人たちを否定しないし、責めたりしない。

☆子どもの気持ちを大切に。

 


経験したから言えることです。

どの立場に立ったとしても辛いのです。

近いからこそ心がどこに向いているか敏感に察知するのです。

私も彼も彼女も傷つきました。

そしてそこには正しいとか間違ってるとかでは測れない想いが存在するのです。

一般論や正悪でジャッジするなんて違和感だらけです。

だからこそ、「私がどうしたいのか」

そこだけ大切にして素敵な恋愛を目指そうと思います。

子どもたちは私が新しく恋愛することを応援してくれるそうです。

もう誰も傷つけない、優しい愛をゆっくり穏やかに大切に育んでいこうと思っています。

信じて待っています。

 

 

 

万物はエネルギー

 

 

 

 

 

「風の時代」が来たと

お花の先生が教えてくださいました。

もっと自由に生きられる時代になるそうです。

過去のしがらみから解放されて自分らしく生きる。

そんな時代の到来です。

 

 

以前に書いたことがあるのですが、私は実の母との関係にわだかまりがありました。

今は本当に消化できていて、過去の事を笑って話せるようになっています。

私にとっては既に乗り越えた出来事なので、想い出話のつもりで母とのエピソードを周囲の人に話すと結構引かれたりします(笑)

そんなふうに愛情表現が変化球な母でした。

 

そんな母から12月中旬に電話が入りました。

私と子どもたちが元気にしているかを確認するためでした。

ただ、その電話口の母のテンションは

「あなたが離婚したせいでお母さんは幸せじゃなくなった」

と、かつて私に言い放った時のエネルギーそのままでした。

母にとっては愛情を伝えているつもりなのです。

私にとっては刃でした。

母は私の全てが心配で不安で仕方がないのです。

そのせいで母は自分が幸せではないと、未だに私に主張してきます。

そんな母に初めてハッキリと言葉で伝えました。

「心配してくれてありがとう。

でも、もう大丈夫だから。

私は私の人生を生きてるから、お母さんもお母さんの人生を生きて。

 もう、それぞれの人生をちゃんと生きていこう。

お母さんと私の人生は別ものなんだから、しっかりと線を引いていこうよ。

お母さんはお母さんの幸せな人生をちゃんと生きて。

私は今、生きてきた中で最高に幸せを感じてるから安心して。」

私の言葉を聞いて「分かった。安心した。」と母はいつになく、さらりと受け取り電話を切りました。

 

その数日後、母から手紙が届きました。

くしくも「風の時代」に入ってすぐでした。

その内容は

「この間の電話で目が覚めました。

あなたが幸せであることを信じるから、もういらない心配するのをやめます。

これからはお母さんの人生を生きます。

兄妹の中で一番甘えん坊だったあなたから大切なことを教えてもらいました。

あなたがここまで強く生きられる人になってくれている事が嬉しい。」

というものでした。

 

今までには有り得ない母からの言葉でした。

私が母に伝えたかったことが伝わりました。

私の生きる力を信じて欲しかった。

今のありのままの私を受け入れて欲しかった。

私の生き方そのものが、母の幸せや不幸であって欲しくなかった。

そんな思いを母がちゃんと受け取ってくれました。

 

嗚咽しながら手紙を読む私を、子どもたちはじっと見守ってくれていました。

幼い時から「おばあちゃんはどうしてあんなにお母さんを怒るの?」と感じていた子どもたち。

落ち着いてから、子どもたちに手紙の内容を説明しました。

そして子どもたちに

「感情はエネルギーだから、人にエネルギーを送っちゃうから、腹が立つとか、悲しいとか、早く手放した方が楽になれるよ。

お母さん、手放して良かった。

手放したら現実世界が変わった。」

って泣きながら伝えました。

 

アインシュタイン曰く

”万物はすべてエネルギー”    ⇒ E=MC2

 

数学の授業は子守唄だった私には理解できない数式ですが、感情も思考も自分の中に抱えるだけで世界に影響を与えるエネルギーを放つのだと知りました。

 

だから母にまつわる過去の出来事に対して

必要のない思考は消去して

 心地好くない感情は癒して手放すことを繰り返しました。

そして母の魂に   ”愛してる”   と   ”ありがとう”  を送る日々を過ごしていました。

 

私の中で、何十年もずっと悲しかった母との関わり。

それが ”愛してるの送信” を始めてたったの一年で現実に影響をもたらしたのです。

心はすでに乗り越えていた私の大きな課題ですが、現実世界でもクリアになりました。

 

「お父さんとお母さんの娘に生まれて幸せです。この世界に生んでくれてありがとう。」

と素直に、心から感謝の手紙を書いて送りました。

 

本音を言えば、現実世界での変化はあきらめていました。

母はきっと変わらないだろうと。

私の想いや言葉は現実世界の母には届かないと。

お互いがその時々に精一杯生きてただけなんだけど、愛情を上手に受け取れなくて、感情をちゃんと整理できなくて、ゴッチャゴチャに絡まってた。

もつれて絡まった糸のようにギュッてなってしまったもの。

それを丸ごと愛したら、いつの間にかほどけていきました。

 

心に持つ想いはエネルギーを放つのです。

私が私の現実世界を創っているのです。

それを改めて、母が教えてくれました。

お母さん、ありがとう。

愛しています。

 

 

迎春

 

 

 

 

f:id:soul-stirring:20210101050826j:image

 

初春のお慶びを申し上げます。

 

どうかこの一年も健やかに。

 

お正月アレンジのお花たちと新しい年を迎えました。

寒くなってお花が長持ちしてくれるので、我が家はお花とグリーンで溢れています。

本当に幸せです。

 

昨年は私の人生の中でも最上級に強烈な一年でした。

たくさんの出来事を経験したし、感じたことも多かった。

そして楽しかった。

 

自分で自分の人生の舵を取る感覚を持ったのは、初めてのことだったように思います。

こんなことしたら人からどう思われるかとか、

子どもたちのためにやりたいことを我慢とか、

今までの ”動かない理由付け” はそっちのけにして。

私自身が、今の私を好きでいられているか、

私自身が、私を一番に大切にできているか、

そこに集中していました。

 

たくさんの物事に「大好き」「愛しい」「楽しい」「幸せ」と感じ続けた日々だったし、

周囲の人たちとの関わりの中で「納得いかない」「イヤだからしない」「傷つくからやめて欲しい」とハッキリ意思表示をすることもできました。

そんな私に、ひとつも悔いなしです。

 

今年も素敵な年にしていきます。

そして生きていられることに感謝です。