我が家の台所事情
家計の話ではなく、本当に台所の話です。
もうすぐ春休み。
また子どもたちの長い休みが始まります。
給食やお弁当がない分、家での食事回数が増えるのです。
私が不在の時、子どもたちは食べた後の食器をシンクに、まるでジェンガのように積み重ねてしまいます。
平気で小さな器の上に大きな器を乗っけるので、例え話ではなくて、リアルジェンガなのです。
仕事から帰宅して、その有様のシンクを見てゾッとします。
夕飯作りの前にそのジェンガ状のお皿を洗っていくのですが、本当に見事なバランスで積み上がっていて、時々「これはすごい!やるなぁー。」と感心してしまいます。
そしてほとんどの場合、イラッとしていますが(笑)
育ち盛りなので食べる量も多く、一度に調理する分量もかなりのものです。
例えばカレーなら市販のルーで2箱分作るのですが、翌日の晩ご飯まで残っていないこともよくあります。
唐揚げならもも肉6枚、ハンバーグならミンチ肉2キロほどを一度に調理します。
子ども3人の量にしてはかなり多く作っているのですが、それでも次の日の晩ご飯までにはなくなってしまうので、極力手間の掛からない献立のローテーションになっちゃうんですよね…。
私、頑張ってると思う。
うん、よくやってるよ。えらい。
そうやって自分を励まさないと、
「もう台所に立ちたくない」と拗ねる私がしょっちゅう顔を出してきたりします(笑)
そして昨日の晩ご飯は子どものリクエストで、たこ焼きでした。
年に何回かは必ずやるのですが、なんせ時間が掛かる。
子どもたちがキャッキャと喜んで焼いてくれたような時代はもうどうやら通り越したようで、私がせっせと焼き続けることがほとんどです。
今回も約200個のたこ焼きを焼き上げました。
達成感と疲労感が半端なかったです…。
たこ焼きを焼いていると、いつも感じることがあります。
それはたこ焼きへの ”尊敬の念“ です。
長男が中3の頃まで、3人の子どもたちは晩の9時に寝る習慣がありました。
自分たちで寝る時間を決めて勝手に就寝してくれるので、寝かせつけには苦労しませんでしたが、それに合わせて家事を回すのはなかなか大変でした。
たこ焼きの日は子どもたちが寝静まった後に、ビールを片手にひたすら残りの生地が無くなるまで、たこ焼きを焼き続ける作業をしていました。
どんだけたくさん生地を流し込んでも、どんな具材をこれでもかと上から重ねても。
最初はぐちゃぐちゃで、もみくちゃにされて。
なのに最後には必ず中に取り込んで、きれいにまぁーるくなるたこ焼き。
“こんな生き方ができる、強い人間になりたい“
“痛みも悲しみも全部飲み込んで、それでも自分をまん丸に作っていく、たこ焼きみたいな生き方ができたらなぁ“
たこ焼きを1人で黙々と焼きながら、いつもそう思っていました。
3人の子どもは大切でしっかり成人までは育てなきゃいけないんだけど、それでも私の人生はいつ終わってもいいと、むしろ早く終わりますようにと、そう願うように生きていた頃。
子どもの声が消えて静まりかえった台所でひとり、まん丸に焼かれるたこ焼きを見ていて、何もかも取り込んで美しい姿になっていく様子に憧れを感じて、本気で切なくて泣いた事もありました。
昨日たこ焼きを焼きながら、あの頃の私を思い出しました。
あの頃、踏ん張って生きてくれた私がいたから、今の私があるんだなぁと。
ありがとう。おかげで今とても幸せに満ちて、心が凪いでいるよ。
あなたのおかげだよ。あなたが今の私に与えてくれたんだよ。
あの頃の私にそう伝えたいです。
ていうか、あの頃の私に会いに行って伝えます。
冗談抜きで、
私にとって
たこ焼きは
師匠なのです。
食べちゃうけどね。