信じるということ
我が家の長男くんはいつもマイペース。
彼の通う高校は進路指導が厳しくて、そんな中で進学も就職もしないと言い切る彼は、先生の頭痛のタネらしい。
以前、三者懇談で担任の先生が進路についてどう考えているかを母親の私に聞いてくださったから、
「この子の人生なので、思うように生きてもらいます」
とニコニコしながら答えたら、もうそれ以来私には先生から連絡が来なくなった(笑)
最近は事あるごとに先生に捕まっては進路の説得をされるらしい。
「本当はたいして心配してないのに、“お前のためだ“ とか、先生うるさい。」
とボヤく長男。
「自由に生きてる人を見たら、大半の人はどこかに恐怖を感じるんだよ。ただそれだけの事じゃないの?これからもそんな声ばかり聞くよ、きっと。あなたが自分の心の中で振り切らないと」
そう言っておいた。
「先生から “どうせ成功しない“ と思われてる意味が分からない」
と首をかしげる。
自己肯定感が高いと自他ともに認める彼。
はったりではなく本気で思っている。
「誰に何言われたって、あなたの考えはくつがえらないんでしょ?じゃあどんな言葉も “心配してくれてありがとう“ って、気持ちだけ受け取ってあとは流していいんじゃない?」
そう話した。そして、
「だいたいさぁ、ちょっと変わり者の、このお母さんの子どもに生まれて来た時点で、あなた引きが強いのよ。あなたがこの人を母親にするって選んで生まれたんだからね。引きの強い自分を信じてれば間違いないんでしょ?」
と言うと、
「確実にそれな!!」
と答えてくれた。
幼い頃から、彼がやらかす事は叱っても、彼自身の存在や彼が選んだ道を一切否定せずに育てたから、私と長男くんの間には信頼関係が成立している。
「死ぬ気でやったら出来ないことなんて、ないと思う」
と言うので
「死ぬ気で生きなくていいよ。死ぬつもりで何かをしなくていい」
と伝えておいた。
「死ぬほど笑うつもりで生きていったら?どんな状況になったとしても笑える自分になれたら最高じゃない?」
「極端な例え話だけど、もしも仮に、水溜まりの水を飲む生活になったとしても、そんな自分に “オレ、水溜まりの水飲んでる。ウケる“ ってあなたが笑えるなら、それほど最強な人生なくない?何も怖くないもん」
「お母さんがあなたに望むことは、今生きてるこの一瞬一瞬を “楽しい“ “幸せ“ “生きるってすごい。面白い“ って味わって欲しい。それがどんな状態であっても、あなたがそう感じてくれてるならそれで充分。あなたはそれができるって信じてるから何も心配してないよ」
そう伝えると、嬉しそうな笑顔を見せてくれた。
何歳になってもやっぱり可愛い♡
「お母さんがウチのお母さんで良かった」
子どもたちは3人ともそう言ってくれます。
一般的なご家庭のお母さんと比べると、全然出来損ないだと自分でも思う(笑)
ヘソを曲げると子どもよりも駄々をこねる。
楽しいことがあると誰よりもはしゃいで、子どもに “恥ずかしいからやめて“ と止められる。
すぐに泣くし、すぐに拗ねる。
笑い声の大きさは子どもたちを遥かに超える。
一度寝てしまうとなかなか起きてこないし。
家事もやりたくない時はしない。
立派なお母さん像なんて本当に果てしなく遠い(笑)
でも子どもたちはちゃんと私の事を信じてくれています。
だからいつも胸を開いて本音で会話してくれる。
ありのままの私と、ありのままの子どもたち。
私が創り出した世界。
こんなに温かくて、心地いい。