*** soul-stirring *** 魂の感じるままに

心が揺さぶられるような喜びや感動で日々を過ごしていきたい。いつも前を向いて笑っていこう。こんな私でもALL O.K !!

信じるということ

 

 

 

 

我が家の長男くんはいつもマイペース。

彼の通う高校は進路指導が厳しくて、そんな中で進学も就職もしないと言い切る彼は、先生の頭痛のタネらしい。

以前、三者懇談で担任の先生が進路についてどう考えているかを母親の私に聞いてくださったから、

「この子の人生なので、思うように生きてもらいます」

とニコニコしながら答えたら、もうそれ以来私には先生から連絡が来なくなった(笑)

最近は事あるごとに先生に捕まっては進路の説得をされるらしい。

「本当はたいして心配してないのに、“お前のためだ“ とか、先生うるさい。」

とボヤく長男。

「自由に生きてる人を見たら、大半の人はどこかに恐怖を感じるんだよ。ただそれだけの事じゃないの?これからもそんな声ばかり聞くよ、きっと。あなたが自分の心の中で振り切らないと」

そう言っておいた。

「先生から “どうせ成功しない“ と思われてる意味が分からない」

と首をかしげる

自己肯定感が高いと自他ともに認める彼。

はったりではなく本気で思っている。

「誰に何言われたって、あなたの考えはくつがえらないんでしょ?じゃあどんな言葉も “心配してくれてありがとう“ って、気持ちだけ受け取ってあとは流していいんじゃない?」

そう話した。そして、

「だいたいさぁ、ちょっと変わり者の、このお母さんの子どもに生まれて来た時点で、あなた引きが強いのよ。あなたがこの人を母親にするって選んで生まれたんだからね。引きの強い自分を信じてれば間違いないんでしょ?」

と言うと、

「確実にそれな!!」

と答えてくれた。

幼い頃から、彼がやらかす事は叱っても、彼自身の存在や彼が選んだ道を一切否定せずに育てたから、私と長男くんの間には信頼関係が成立している。

 

「死ぬ気でやったら出来ないことなんて、ないと思う」

と言うので

「死ぬ気で生きなくていいよ。死ぬつもりで何かをしなくていい」

と伝えておいた。

「死ぬほど笑うつもりで生きていったら?どんな状況になったとしても笑える自分になれたら最高じゃない?」

「極端な例え話だけど、もしも仮に、水溜まりの水を飲む生活になったとしても、そんな自分に “オレ、水溜まりの水飲んでる。ウケる“ ってあなたが笑えるなら、それほど最強な人生なくない?何も怖くないもん」

「お母さんがあなたに望むことは、今生きてるこの一瞬一瞬を  “楽しい“  “幸せ“  “生きるってすごい。面白い“  って味わって欲しい。それがどんな状態であっても、あなたがそう感じてくれてるならそれで充分。あなたはそれができるって信じてるから何も心配してないよ」

そう伝えると、嬉しそうな笑顔を見せてくれた。

何歳になってもやっぱり可愛い♡

 

「お母さんがウチのお母さんで良かった」

子どもたちは3人ともそう言ってくれます。

一般的なご家庭のお母さんと比べると、全然出来損ないだと自分でも思う(笑)

ヘソを曲げると子どもよりも駄々をこねる。

楽しいことがあると誰よりもはしゃいで、子どもに “恥ずかしいからやめて“  と止められる。

すぐに泣くし、すぐに拗ねる。

笑い声の大きさは子どもたちを遥かに超える。

一度寝てしまうとなかなか起きてこないし。

家事もやりたくない時はしない。

立派なお母さん像なんて本当に果てしなく遠い(笑)

 

でも子どもたちはちゃんと私の事を信じてくれています。

だからいつも胸を開いて本音で会話してくれる。

ありのままの私と、ありのままの子どもたち。

私が創り出した世界。

こんなに温かくて、心地いい。

 

 

 

 

 

夕日を求めて山越え

 

 

 

昨日は仕事から帰宅する時間帯、夕日がとっても美しかったんです。

私は山が多い地域に住んでいて、山に向かって落ちていく夕日を見ていました。

私が育った地元からの景色は、地平線に落ちていく夕日だったのに。

夕日とのお別れが山1つ分、早く訪れます。

それが淋しく感じて…。

それほど、とっても美しい夕日でした。

 

だから昨日は思い立って、夕日を追いかけて山の向こう側に行ってみることにしました。

山を越えるのは夕日がまだ見たいから。

ただそれだけ。

 

思いつきで始まった山道ドライブ。

この道を切り開いてくださった、たくさんの方々に感謝しながら。

山の向こう側は、もう違う都道府県です。

 

でも残念ながら、向こう側に辿りついた時には、夕日は沈んではいないものの、雲に覆われて見えませんでした。

 

ん〜。ざんねん…。

 

でもその道すがら、めっちゃワクワクしてご陽気ドライブができたので、悔いはなし!

 

向こう側のスーパーで夕食の買い物をして、お店を出た時には真っ暗になっていました。

ここから、また山越え。

行きとは全然違う風景の中でのドライブ。

今度はお月さまが見守ってくれていました。

明日に満月だというほぼ真ん丸なお月さまは周りの雲を照らして、ピンクがかった金色の光をまとっていました。

 

とってもぜいたくなドライブでした。

 

なんだか、久しぶりに自分のやりたい事をやりたいようにさせてあげた感覚で。

私にとって、この時間はとても大切なものなんだと再確認しました。

 

ここのところ、感情の波の幅が大きかったりして。

感動に包まれて涙を流すことが増えたけど。

ふと、自分の心が動いていない感覚もあったりして。

このあいだ宇宙に投げた自分の望みの方向性は正しかったのか、少し迷っていたりして。

でも昨日、答え合わせができました。

私が宇宙にお願いした望みは、本当に私が望んでいることなんだって。

私が私らしく在りたいから。

だから現実に立ち上げたい世界なんだって。

 

スッキリしました。

私は今を楽しみます。

そのために、今の今、私が望むことをそのまま立ち上げていく、そんな世界を生きていきます。

 

今日はスーパームーン満月で、皆既月食だそうで。

今日は愛しい存在のお誕生日だったりして。

 

感謝を込めて瞑想しようかな。

 

 

 

 

立っている場所から見える景色

 

 

 

 

 

今年も一斉に咲き誇り、魅せられます。

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近所の公園をブラブラお散歩。

贅沢だなぁって。

幸せだなぁって。

在るって、生きるって豊かだなぁって。

感謝します。

ありがとう。

 

 

娘が新生活に向けて髪を切りました。

「髪の毛って寄付できるらしいけど本当?」って娘に聞かれて

「ヘアドネーションってあるよね」って答えてたら

「じゃあ、それやりたい」って。

検索したらドネーションできるように処理をしてくれる美容院がすぐ近くに。

私も娘も初体験でした。

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私もロングヘアなので同じタイミングでカットしてドネーションしようかと思ったりもしたのですが、私の場合、ソバージュパーマ状のなかなか強烈なクセ毛なので、短くすると物理的重さがなくなって髪の毛が広がってしまい、大げさではなく葉加瀬太郎さんヘアになってしまうので断念しました。

娘の髪の毛が、誰かの支えを借りて、誰かのお役にたてますように。

 

できる人が、できる時に、できるパワーで、できる範囲の何かをできればいいなと私は思っています。

 

「偽善」も立派で素敵な「善」

笑いながら言い切れます(笑)

 

それぞれの立場があって、それぞれの考え方がある事も経験してきました。

 

ハタチくらいの時に「募金活動は偽善だ」と言った男友達と結構激しく討論した記憶があります。

そしてその年の夏、その男の子を交えた友達グループでチャリティー会場に小銭の詰まった貯金箱を渡しに行ったなぁ。

あの頃は捉え方の違いにひどく反応してしまう私でした。

 

 

その後、結婚して子どもができて、子どもを失う事への恐怖がどれ程のものかを知りました。

その当時、今の私に何ができるだろうって思って、とりあえず骨髄バンクのドナー登録をしました。

子どもを、家族を、助けて欲しい時に助けてくれる誰かがいる。

それが当事者ご家族にとって希望になるなら。

そしてその当事者に私たち家族もなる可能性だってあると思ったのです。

登録して半年程たった頃、骨髄移植を希望されている患者さんと私の骨髄タイプが同じだということで連絡が入り、大学病院で精密検査を受けてコーディネートが始まりました。

その頃、私の子どもたちは3人とも小学校にも上がっていない年齢で、どうしても身内の協力が必要でした。

私が骨髄を採取するため入院する間の、子どもたちのお世話をお願いしましたが、賛成してくれたのは元夫だけでした。

すぐ近くに住む元夫のお母さんや妹さんとは、とても仲良くしていたのですが「小さい子どもがいるあなたがそこまで身体の負担を負う必要があるのか」と反対されました。

私の姉には「人助けは分かるけど、幼い子どもがいるのにあんたの選択はちょっと考えられない」と言われました。

私の母には、もはやモメる事が目に見えたので事後報告にする事にしました。

正直すごくショックでした。

もし自分の子どもや家族が患者なら、適合するドナーが目の前にいたら泣きすがって懇願するだろうに。

いつ、その立場に自分たちがなるか分からないのに。

意地でも説得してみせよう。

そう思いましたが、その時のコーディネートは私以上に骨髄タイプが合う別のドナーさんが見つかったとの事で、先に進むことはありませんでした。

 

 

長男が小学校に行き始めた頃、ヒョンなことがキッカケで保護いぬの預かりボランティアをすることにしました。

エゴに無自覚な人間の作り出したシステムによって引き起こされている殺処分の現実を知り、その時の私にできる事を考えた答えでした。

実家の両親も動物が好きで、長い間いぬと一緒に生活をしていたので、母に気楽な気持ちで保護いぬを預かるボランティアをしている話をしました。

母から言われたのは

「あなた、まだまだ手の掛かる小さい子どもが3人もいるのに、どうしてよその人に渡すいぬをわざわざ世話する必要があるの?誰にいいカッコがしたいの?」

という言葉でした。

今なら分かるのです。

それも孫を大切に思う愛情からの、正直な気持ちだと思います。

言われた私は、それでも預かりボランティアをやり続けて、幸せになるいぬたちを見てもらいました。

姉が私の預かったいぬを里親として迎えたことで、生命を繋げていった存在がどれほど可愛いらしい家族になるかを、母も理解してくれて協力的になってくれました。

 

 

ほとんどの人に敬遠されがちなPTA役員も、子どもがお世話になっている学校のことだからと、言われるがまま素直に受けていたら執行部の中心メンバーになってしまい(笑)、思いがけない愉快な仲間の繋がりができました。

あまりにもこの仲間が楽しくって盛り上がって活動したので、いまだに学校行事に運営側として呼ばれるし、ワイワイと携わっています。

いろんなママ友から「PTAなんてよくやるねー。仕事も家事も子育てもあるのに、私には無理」という風な事をよく言われます。

 

 

「正義」とかって

その人の立場や物の見方によって

全然違う答えになる。

正しいも間違いもなくて、

人とすり合わせようとしても交わらなかったりする。

だから

「あなたはそう思うんだね。私はこう思うんだ。」

これでいいのだと思うんです。

後は納得して楽しんで、やりたいように動けばいいんだと経験しました。

そうやって動いた行動の結果が、誰かのお役にたったり、喜んでもらえる何かに繋がれば、

それって、サイコウ。

見る人から見たら「自己満足」で「偽善」で。

私から見たらその時々の自分に「善し」って言ってあげられる。

もうそれで充分なんです。

 

 

 

卒業式のタイミング

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと前に、ある対談講演会のオンライン参加を申し込みました。

サイコオンコロジーを研究されている精神科医と、ある女性の対談でした。

サイコオンコロジーとは、ガン治療における患者と家族の心のケアを行うという分野のことです。

 

私の祖父母は4人ともガンで亡くなっています。

2014年のデータでは

「男性の2人に1人、女性は3人に1人がガンになる」

という罹患率だそうです。

知っていたほうが得なことは、ちゃんと聴いておきたいので知識を入れておこうと思いました。

我が家は母子家庭なので、私が罹患した時にどうやって子どもたちに知らせるのか、心のケアはどうするのか、勉強になりました。

不安な事はシュミレーションの中で解決しておいて、頭の中から手放すと、きっと起こらない。

そう信じてるから、もう大丈夫。

 

対談されていた女性は、ガンで最愛のご主人をなくされた方で

ご主人を看取られた日は、彼女自身のお誕生日だったそうです。

ご主人の「誕生日おめでとう」という言葉と

彼女の「ありがとう」という言葉

これが2人の最後の会話になったそうです。

お祝いの言葉が最後だったことをとても満足していると語っておられます。

 

そんな彼女がシェアしてくださった

素敵な文章に出逢えました。

 

私が子どもたちにいつも想っていること。

そのまま言葉になっていました。

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

【最後だとわかっていたなら】

作:ノーマ・コーネット・マレック
訳:佐川 睦


あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしはもっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう

 

あなたがドアを出ていくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは、あなたを抱きしめて、キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう

 

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは、その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

 

あなたは言わなくても
分かってくれていたかもしれないけれど

最後だとわかっていたら
一言だけでいい…
『あなたを愛してる』と
わたしは伝えただろう

 

たしかにいつも明日はやってくる
でも、もしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終るのだとしたら

わたしは、今日
どんなにあなたを愛してるか伝えたい

 

そして、わたしたちは忘れないようにしたい

若い人にも、年老いた人にも
明日は誰にも
約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

 

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや、抱擁や、キスをするための
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと

忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして、してあげられなかったのかと

 

だから今日

あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう

そして、その人を愛していること
いつでも、いつまでも、大切な存在だと
いうことをそっと伝えよう

 

『ごめんね』や『許してね』や
『ありがとう』や『気にしないで』を

伝える時を持とう

そうすれば

もし、明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

私はもう何年も、毎日毎日、子どもたちに

「生まれてくれてありがとう」

「愛してるよ」

ハグしながら

そう言葉で伝え続けています。

 

学校に行く子どもたちに

「行ってらっしゃい。愛してるよ。」って

声をかけます。

 

自己満足かもだけど、言いたいから言うのです。

愛しい存在への想いに悔いを残したくない。

ただ、それだけ。

 

長い年月にかけて、行動にうつせている私を

自慢したいほど誇りに感じています。

 

どうか、あなたも愛している人への想いに

悔いを残さないように。

どうか、想いを直接伝えきってください。

いつこの人生の卒業式を迎えるのか、

みんなそれぞれで、わからないからね。

 

「魂のすべてで、愛しています」

 

 

 

 

 

我が家の台所事情

 

 

 

 

 

 

家計の話ではなく、本当に台所の話です。

 

もうすぐ春休み。

また子どもたちの長い休みが始まります。

給食やお弁当がない分、家での食事回数が増えるのです。

私が不在の時、子どもたちは食べた後の食器をシンクに、まるでジェンガのように積み重ねてしまいます。

平気で小さな器の上に大きな器を乗っけるので、例え話ではなくて、リアルジェンガなのです。

仕事から帰宅して、その有様のシンクを見てゾッとします。

夕飯作りの前にそのジェンガ状のお皿を洗っていくのですが、本当に見事なバランスで積み上がっていて、時々「これはすごい!やるなぁー。」と感心してしまいます。

そしてほとんどの場合、イラッとしていますが(笑)

 

育ち盛りなので食べる量も多く、一度に調理する分量もかなりのものです。

例えばカレーなら市販のルーで2箱分作るのですが、翌日の晩ご飯まで残っていないこともよくあります。

唐揚げならもも肉6枚、ハンバーグならミンチ肉2キロほどを一度に調理します。

子ども3人の量にしてはかなり多く作っているのですが、それでも次の日の晩ご飯までにはなくなってしまうので、極力手間の掛からない献立のローテーションになっちゃうんですよね…。

 

私、頑張ってると思う。

うん、よくやってるよ。えらい。

そうやって自分を励まさないと、

「もう台所に立ちたくない」と拗ねる私がしょっちゅう顔を出してきたりします(笑)

 

そして昨日の晩ご飯は子どものリクエストで、たこ焼きでした。

年に何回かは必ずやるのですが、なんせ時間が掛かる。

子どもたちがキャッキャと喜んで焼いてくれたような時代はもうどうやら通り越したようで、私がせっせと焼き続けることがほとんどです。

今回も約200個のたこ焼きを焼き上げました。

達成感と疲労感が半端なかったです…。

 

たこ焼きを焼いていると、いつも感じることがあります。

それはたこ焼きへの ”尊敬の念“ です。

 

長男が中3の頃まで、3人の子どもたちは晩の9時に寝る習慣がありました。

自分たちで寝る時間を決めて勝手に就寝してくれるので、寝かせつけには苦労しませんでしたが、それに合わせて家事を回すのはなかなか大変でした。

たこ焼きの日は子どもたちが寝静まった後に、ビールを片手にひたすら残りの生地が無くなるまで、たこ焼きを焼き続ける作業をしていました。

 

どんだけたくさん生地を流し込んでも、どんな具材をこれでもかと上から重ねても。

最初はぐちゃぐちゃで、もみくちゃにされて。

なのに最後には必ず中に取り込んで、きれいにまぁーるくなるたこ焼き。

 

 “こんな生き方ができる、強い人間になりたい“

“痛みも悲しみも全部飲み込んで、それでも自分をまん丸に作っていく、たこ焼きみたいな生き方ができたらなぁ“

たこ焼きを1人で黙々と焼きながら、いつもそう思っていました。

 

3人の子どもは大切でしっかり成人までは育てなきゃいけないんだけど、それでも私の人生はいつ終わってもいいと、むしろ早く終わりますようにと、そう願うように生きていた頃。

子どもの声が消えて静まりかえった台所でひとり、まん丸に焼かれるたこ焼きを見ていて、何もかも取り込んで美しい姿になっていく様子に憧れを感じて、本気で切なくて泣いた事もありました。

 

昨日たこ焼きを焼きながら、あの頃の私を思い出しました。

あの頃、踏ん張って生きてくれた私がいたから、今の私があるんだなぁと。

ありがとう。おかげで今とても幸せに満ちて、心が凪いでいるよ。

あなたのおかげだよ。あなたが今の私に与えてくれたんだよ。

あの頃の私にそう伝えたいです。

ていうか、あの頃の私に会いに行って伝えます。

 

冗談抜きで、

私にとって

たこ焼きは

師匠なのです。

食べちゃうけどね。

 

 

 

懐かしいぬくもり

 

 

 

 

 

ウチの子たちは3人ともぬいぐるみが好きです。

娘はもちろん、高校生の長男も中学生の次男も。

私としては全然変だとは思わないのですが。

ただ、もう卒業してもいい頃なのでは?とは感じるけど、今だにぬいぐるみと一緒に寝たりしていて。

ギリギリの年頃まで全員同じ部屋で寝ていたから、インナーチャイルドの寂しさを埋めている訳でもなさそうだし。

何となく考えていて、思い当たりました。

 

いぬです。

 

実は末っ子くんがオムツを付けていた頃から

保護いぬの預かりボランティアをやっていました。

飼育放棄されたり。

パピーミルと呼ばれる悪質なブリーダーの崩壊でレスキューされたり。

保健所から殺処分を免れて引き出されてきたり。

そんな子たちが新しい家庭に行くまでの間、心身ともにケアするのが預かりボランティアの役目です。

我が家から何頭も新しい家庭へと送り出して行きました。

 

最初、来た時は心を閉ざしているコも、時間の経過と共に甘えてきてくれるようになります。

その時に3人の子どもたちがいつも大活躍してくれました。

私が構ってあげられない時間帯は子どもたちにピッタリとくっついて甘えている預かりっコたちがほとんどでした。

どんな預かりのいぬが来ても、そのコの性格を説明してあげると子どもたちはそれを理解し、無理強いすることなく上手に距離を縮めていって、いつの間にか仲良しになります。

3人といぬが ”ひっつきもっつき” しているのが我が家のいつもの光景でした。

 

その中で、3代目の預かりっコだけ我が家の家族として迎え入れました。

推定10歳を越えたマルチーズMIXだったのですが、来た当初はお腹にSサイズみかん程のしこりをぶら下げていました。治療してもらえないまま放置された腸ヘルニアでした。

長期に渡ってシャンプーされていないため、毛がほぼ抜け落ちて皮膚から出る油分で全身ベトベトになった状態で棄てられたコでした。

手術でしこりを切除し、身体のケアをしながら人間への信頼を取り戻してもらって、警戒して唸ることも少なくなりました。

毛も生えそろって、見違える程に可愛らしくなっていき、これから新しい家族の中で幸せを味わうんだという時に、重い心臓病が発覚しました。

すでにかなり進行し肺に水が溜まっていて、薬の力で心臓を動かすしかない状態まできていました。

いつ止まってもおかしくない心臓だと。

なんでこのコがこんなにたくさん辛い目に合わないといけないんだろうっていう悔しさとか、切なさとか、もう離したくないっていう込み上げる愛情とか、このコの最期を見守る責任と権利を私に欲しいっていう覚悟とか。

声をあげて泣きながら思いを巡らせました。

その日は私の誕生日で。

もうこれはご縁でしかないなって思ったので、保護ボランティア団体の代表にすぐ電話して我が家に譲渡してほしいとお願いしました。

 

その後も預かりボランティアは続けていき、我が家は常に2~3頭のいぬたちと3人の子どもたちで、わっちゃわっちゃと楽しく賑やかでした。

いぬたちと子どもたちが重なり合ったザコ寝は当たり前の光景でした。

 

我が家に迎えたおじいちゃんワンコは日に日に赤ちゃんのように戻っていき、警戒して唸っていたのがウソみたいに超甘えん坊になりました。

加齢で耳が聞こえなくなって、私の姿を探して後追いしたり。

家に誰もいなくなると心細くて吠えてしまうけど、それだと心臓に負担になるから、どこに行くのも車に乗せていつも一緒にいました。

寝る前には必ずお気に入りのクマのぬいぐるみをちゅぱちゅぱ咥えながら私たちと一緒のお布団で寝ました。

「いつ止まってもおかしくない心臓」

そう宣告を受けた日から、4年の月日を私たち家族と過ごしてくれて、本当に可愛らしい姿でたくさん満たしてくれました。

そして最期は私の望み通りに、この腕の中で呼吸を終えてくれました。

 

預かりっコのタイミングがよかった事や、働きに出るのを決めた事で、預かりボランティアはその時に一区切りつけました。

我が家の子どもたちはもしかしたら、常に側にあったふわふわなぬくもりを求めて、ぬいぐるみを抱きしめて眠るのかも知れません。

本人たちに聞くと

「あー、確かにそうかも知れない。無意識だけど」

そう言っていました。

そうだよね。

どこか心があのふわふわを求めちゃうよね。

私もあの子に会いたいな…。

この時期になると懐かしく切なくなります。

もうすぐ命日です。

存在すべてで甘えてくれたあの子に、夢の中でもいいから会いたいな。

 

 

 

あまりに衝撃的過ぎて…笑った

 

 

 

 

 

 

かなりの衝撃を受ける出来事がありました。

本当に。もう本当に。

以前の私だったら、ズタズタに心が傷ついて、怒り狂って、泣き叫んで、悲しくて悲しくて、1ヶ月は落ち込んだだろうと思う。

 

この衝撃な出来事を例え話で表現するなら、

”幼い頃に遊んでいた女の子がいたとして。

ある日私がとても大切にしていたスノードームを、その子がわざと地面に叩きつけて割ってしまうのを見てしまって。

私はビックリしたのと悲しいのとで咄嗟にその子のほっぺたを叩いてしまって。

お互いにごめんなさいが言えずに会わなくなって。

誰にもその出来事を言えないままで。

私はスノードームがなくなった喪失感と、その子を叩いてしまった罪悪感で、ずっと悲しくて落ち込んでいて。

そのままずいぶんと大人になってしまって。

ある日街を歩いていると、見た事のある面影の女性が前からこちらに歩いて来てて。

すれ違いざまにパンッと私の頬を平手打ちされて。

「これでおあいこね」と言った女性は去って行った。”

例えるなら、そんな感じの出来事です。

 

本当に衝撃が凄かった。

”こんなことって起きるんだ”

”これができるって逆に凄い!”

”私のスノードームの悲しみは棚に上がってるし”

”私の罪悪感って何だったの?”

咄嗟にグルグルって色んなことが頭を駆け巡ったけど、

衝撃をやり過ごして、落ち着いた時に

笑いが込み上げてきた。

めちゃくちゃ面白い。

いったい何十年越しの傷の精算大会だよって。

もう彼女に持っていた罪悪感が滑稽で面白くなっちゃって。

でも、その罪悪感のおかげで私は学べたし、強くなれたと思って。

わざわざ向こうから精算しに来てくれたことが面白くって。

その予想外のやり方がまた面白くなってきて。

「ありがとう。もういいよね。スノードームの恨み言は言わないでいてあげる」ってわざと高飛車に思った。

 

凪いでいる私の心が嬉しくて。

被害者も加害者もないと思える私が心地よくて。

でも ”振り返った彼女に笑ってるところ見られたら激怒されるから、ちょっと真剣な顔をしておこう” って計算している私も面白くって。

 

完全に例え話なんだけど、本当にそんな感じ。

そして、笑えたら卒業。

私のマイルール。

だから私はとってもスッキリ。

 

今回の出来事の、本物の主人公の皆さんにも

愛情を込めて、ホ・オポノポノを送ります。

「ありがとう」

「ごめんなさい」

「許してください」

「愛しています」

そして…

「もう大丈夫です。だから、さようなら。」

 

うん。心地いいなぁ。